猪原 彩美/長崎大学多文化社会学部1年
AMI INOHARAいのはら あみ
皆さん、はじめまして。長崎大学多文化社会学部1年の猪原彩美と申します。岡山県出身で、大学進学を機に長崎に住み始めました。大学入学当初から、ナガサキ・ユース代表団の活動に興味を持っていたため、この度メンバーに選ばれたことを大変うれしく思います。
私はもう1つの被爆地である広島の隣県の岡山で育ちましたが、長崎に来て、地元学生の平和に対する意識の高さに驚きました。世界で唯一の被爆国であるにもかかわらず、地域によってこのような意識の違いがあってはなりません。また、被爆者の高齢化に伴い、原爆の恐ろしさを知る「証言者」が減少する中で核問題を自身にも関係する問題として捉える人が少ないように思います。そのため、ナガサキ・ユース代表団での様々な活動を通して自身も学び、多くの人に核問題への関心を持ってもらいたいです。
核兵器のない平和な世界を実現するのは容易なことではないかもしれませんが、ナガサキ・ユース代表団での活動を通して少しでも貢献できるよう、10期生の皆と精一杯頑張ります。よろしくお願いします。
姜 妙京/長崎大学多文化社会学部1年
MYOGYON KANかん みょぎょん
長崎大学多文化社会学部一年の姜妙京と申します。私は今回第10期生として活動していくにあたり、特に県外の学校に通っている学生に対しての出前講座に力を入れたいと考えています。私はこの春に大阪から長崎に移ったのですが、長崎県が大阪府と比べて核兵器についてより強い問題意識を抱えていることに気づきました。関西圏では得ることの難しい学びを被爆地である長崎の土地で学び、他県へその気づきを持っていくことが私の使命であると考えます。現在同じ日本国内であっても、核兵器問題に対して抱く危機感に大きな差があることは明らかです。それはやはり、被爆国としての知識量が地域によって異なるためだと言えるでしょう。知識は見えないものを可視化し、問題に対する視野を拡げることが可能です。私は、今回の活動を通して知識を蓄えることで、取りかかるべき課題を明らかにしたいと考えております。世界中のあらゆる問題が絡み合った上にある核兵器の歴史を、私たちの世代が理解する一助になれるよう努力をして参ります。
後藤 歩夏/長崎大学多文化社会学部1年
AYUKA GOTOごとう あゆか
初めまして。長崎大学多文化社会学部の後藤歩夏と申します。岐阜県岐阜市の出身で長崎大学進学を機に長崎県で暮らし始めました。私は約一年間のパナマでの留学をきっかけに平和の大切さ、核の残酷さを世界に向けて伝えることが唯一の被爆国である日本の国民としての使命であると感じました。私は長崎が平和象徴の都市として世界中の国から強く認識されていると感じています。そのきっかけとして第一に留学を挙げます。私の留学したパナマという国は中央アメリカに位置する非常に小さな国です。しかしそんな日本とは所縁がないような国でも、ナガサキという地名は人々の多くが「原子爆弾を落とされた都市」として認知していました。また、今年初めて長崎県の平和記念式典に出席した際には世界各国の大使たちが長崎の地に足を運び平和への祈りをささげる様子を目にしました。そんな世界から注目を集める平和都市である長崎の地を舞台に、平和活動を行うナガサキ・ユース代表団でなら私の目標を果たすことが出来ると思い、今回代表団に志望させていただきました。代表団の一員として仲間たちと共に果たすべき使命を精一杯全うしていこうと思います。よろしくお願いします。
小松原 優光/長崎大学多文化社会学部1年
YUMI KOMATSUBARAこまつばら ゆみ
長崎大学多文化社会学部1年の小松原優光です。私がナガサキ・ユース代表団の一員になりたいと思った理由は、高校生の時に行った留学での経験からでした。私は高校生の時にベルギーというヨーロッパの国に行っていたのですが、そこでホストファミリーと戦争の話をする機会がありました。その中で、ホストファミリーは第1次世界大戦のことや真珠湾攻撃のことはよく知っていて、たくさん意見を言ってくれました。しかし、第2次世界大戦、特に原爆に対してはよく知らないと言われてしまいました。私はこれまで、原爆のことは多少なりとも海外でも広く伝わっていると思っていたので、こう言われてとてもショックを受けました。そして、私は出身が長崎県の隣の佐賀県ということで、原爆について知る機会が多くあり、その恐ろしさを良く知っているので、そのことを知らないということがとても残念に思いました。この経験を通して、私はもっと海外の人に原爆について知ってもらいたいと思いました。
私はこのナガサキ・ユース代表団に入って、原爆について理解を深められるような平和教育について考えていきたいです。また1人でも多くの人に原爆のことや、その原爆がもたらした被害のことを伝えていきたいと思います。そして、そういった活動を通して核廃絶に貢献できるように、全力を尽くしていきたいと思います。よろしくお願いします。
野尻 稀海/長崎大学多文化社会学部1年
NOZOMI NOJIRIのじり のぞみ
こんにちは。長崎大学多文化社会学部1年の野尻稀海です。私は宮崎県出身なのですが、家族とともに広島・長崎を訪れたことがあり、以前から原子爆弾や戦争の歴史に興味がありました。今年の4月に進学のため長崎に来たのですが、実際に被爆者の方の体験を聞くことができ、被爆地だからこそ学べることがたくさんあると感じました。今回ナガサキ・ユース代表団に参加することができ、とても嬉しいです。
これまで様々な戦争関連の映画や本が公開されてきましたが、私がそれらを見て感じたのは、戦争の中でも当時の人々には普通の日常があり、現代と変わらず家族や友人を大切に思って生きていたということです。しかし、2発の原子爆弾が日本に落とされ、一人一人の大切なものが一瞬で破壊されました。今、世界には約13,080発の核兵器が存在していると言われています。この問題は決して他人事ではありません。被爆者の方々が願う核なき世界を目指して、任期中精一杯活動させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
福永 楓/長崎大学大学院多文化社会学研究科1年
KAEDE FUKUNAGAふくなが かえで
長崎大学院多文化社会学研究科1年の福永楓です。佐賀県基山町出身で、大学進学を機に長崎に住み始めました。佐賀県が、長崎に隣接している一方で、私は、長崎旅行以外で主だった平和を学ぶ機会はほとんどありませんでした。学部時代には、Peace Caravan隊として約1年間、県内外の教育機関等で平和についての出前授業を行いましたが、その中で核兵器に関する基礎的知識に地域差があることを改めて実感しました。このような経験から、日本が唯一の被爆国である以上、広島・長崎以外の地域においても原爆について正しく学び、平和を再考するための機会が均等に提供されるべきだと思い始めました。また、オランダ留学中に、PAXというオランダのNGOが主導で行った核兵器禁止条約への参加を求める署名活動が、オランダ政府の核兵器禁止条約の交渉に関する意思決定に大きな影響を及ぼしたことに感銘を受け、市民社会の可能性を強く感じさせられました。以上の理由から、長崎に住む一学生として、核廃絶と平和学習の普及の一助を担えないかと思い、ナガサキ・ユース代表団10期生への応募を決意しました。
2021年1月22日に核兵器禁止条約が発効し、国際的に核兵器廃絶の機運が高まりを見せています。しかし、その一方で核兵器を保有する国は、原爆が落とされた当時よりも増えているだけでなく、核保有国と日本を含むその他の同盟国が、「核兵器は必要である」というような立場をとり続けています。唯一の被爆国である日本が核抑止力を持つことに関しては議論の余地があるように思います。
私1人の力はたかが知れていると思いますが、10期生の皆と協力することで、原爆の記憶の継承だけでなく、昨今の核事情についての考えをできるだけ多くの方と共有・議論ができるような場を提供できればなと思っています。
宮﨑 優依/長崎大学経済学部1年
YUI MIYAZAKIみやざき ゆい
長崎大学経済学部1年の宮崎優依と申します。父は日本人、母は韓国人で、生まれは韓国ですが、小・中・高校時代に長崎で平和教育を受けてきました。私は、幼い頃から韓国に2年、中国に5年住んでいたことがあり、現地の学校と日本人学校両方で、海外の平和教育の実態を目の当たりにしています。その中で気づいたことが、日本人学校では長崎・広島の原爆や、核問題について学ぶ機会がなかったということです。長崎の学校では、8月9日の登校日に加え、黙祷、平和集会をするのが当たり前の環境だったため、平和教育がないことにとても驚きました。同時に、平和出前講座を積極的に進め、核問題を「現在の問題」として一緒に考えていくべきだと思いました。
また、中国の現地校では平和について学ぶ機会はあるけれども、長崎や広島原爆に焦点を当てた平和教育ではなく、日本に強制的に連れてこられた労働者や大量虐殺についての歴史を学ぶ機会が多かったです。同じ戦争でも見てきた光景は日本と異なるのですから、人の数、国の数だけ歴史があり、多種多様な平和教育があっていいと思います。しかし、平和教育の一環に「核問題」を取り入れることで、核兵器の正しい知識を身に付け、より多くの人と「核なき世界の実現」に向けて前向きな話し合いができ、解決策が生まれると思います。
このナガサキ・ユース代表団の活動を通して、国内はもちろんのこと、国境を越えて一人でも多くの人に平和について考えるきっかけを作ってもらえるよう、全力で取り組んでいきます。どうぞよろしくお願いいたします。